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災害時要援護者研究会(第3回) 会議記録


平成20年8月2日(土) 13:30〜15:30
市立総合福祉会館 2F 第2活動室 参加者:25名

1、あいさつ

  ボランティアセンター梅田所長あいさつ

2、講演

   テーマ「福祉事務所および防災課を通じて感じた要援護者への支援のあり方」

   講演者 板橋区 前福祉事務所長 前防災課長 鍵屋一(かぎやはじめ)氏

(講演内容)

■鍵屋氏の自己紹介

 こんにちは。板橋区役所の鍵屋と申します。今は契約管財課に所属しています。内容は、板橋区の契約を見て正しいかどうか、主に土地や建物を管理しています。1年前は福祉事務所、その前は防災課に所属していました。

 今までに仕事のかかわりから、災害時要援護者のことを考え続けています。

 この研究会では、これまで2回の会合を行っていますが、その資料を見させていただきました。このうちの1回は仮設住宅の問題を取り上げていました。資料では日常から問題を抱えている人がおり、災害が起こることで、この人たちが仮設住宅に入居したので問題が表面化してきたことを言われていました。日常にある問題≠ェ災害発生により問題が表面化してきた。今日の講演の中でも、「日常にある問題に目を向けることが大切なこと」を考えながら進めていきたいと思います。

■災害を数字だけでとらえてはいけない

 まずは、災害が起こったときに人間、街、社会はどうなるのかという話をします。そして、それを防ぐためには何をすればいいのか。災害時要援護者を災害前から何をすべきなのかという話をしたいと思います。

〜パワーポイントを使って進める〜

 災害とは何かということで地震災害についてみていきたいと思います。最近起きた岩手県や新潟県の地震は都市部というより小都市、中山間地域です。都市部の地震は全然違うことになります。それを阪神・淡路大震災の映像で見てみます。14年前こういうことが起こりました。

〜ビデオ映像で都市部の地震を紹介〜

 ビデオでは、長めに流していますが、本当に大きな揺れは十数秒でした。建物が壊れ道路が倒れ、病院がつぶれ、わずか十数秒で都市が崩れていきました。この後、神戸市役所の職員がビデオを撮っています。戦争が起こったかのような、テレビで映される戦争を見るようなものに近いです。

 この震災で約6400人が亡くなりました。5500人以上が被災直後、その後900人ほどが関連死でした。家は全半壊で20万棟におよびます。

 このように災害を数字で語ってしまいますが、数よりも1人はどういう状況だったのかということに向かい合わなければならないと思います。亡くなった方が、子どもだったら、働き手だったら、その後の生活はどうなるのだろうか、ということに向き合わなければ悲惨さは分かりません。

 この災害は朝の5時46分に起こったので、被害を軽減したことが4点ほどあります。

・1つめは、家族が家にいたことで家族の安否確認はしなくてよかったことです。

・2つめは、帰宅困難の問題がありませんでした。

・3つめは、朝の5時46分ですから、火をあまり使いませんでした。ほぼ無風であったことです。

・4つめは、冬なので、ご遺体が悪くならなかったこと。ご遺体は3日間、体育館に置かれたままの事もありましたが腐敗することはありませんでした。

 阪神・淡路大震災で息子さんを亡くされたお父さんのインタビューです。亡くされて自分もガラスで怪我をされた路上をさまよっていました。たまたまラジオ局の方がインタビューをしていました。ちょっと関西弁で聞き取りにくいですが・・・。

〜ラジオ局の音声を紹介〜

 ラジオでは、息子は火事によって亡くなったと言っています。壊れたがれきで動けない息子の足までは出したけれど、しだいに火は近づいてくる。その中で息子に逃げてくれと言われたことを言っています。結局、息子さんは火事によって亡くなってしまいました。

 このラジオを聞いていただいたのは、「こうした事実が起きた後、今後どうして行こうかと考える気力も無くて呆然としている」そういう思いに向き合っていくことが災害であることを想像していていただくために聞いていただきました。

■今後30年以内に横須賀も震度7相当の地震が予想されます。

 なぜ地震が起こるのか。大きな岩の上に日本列島が乗っていると思って欲しい。4つのプレートが毎年数cmほど動くわけです。岩と岩はくっついていて、太平洋プレートが日本の下にもぐりこんでいますが、そこのひずみが大きくなってくる。そのひずみに耐えられなくなって一気に戻るのが海溝型の地震。また、押されたほうの岩盤が壊れるのが直下型の地震といわれています。そのズレが地表でよく見えるのが活断層。岩手県や宮城県は活断層の地震でした。南海東南海地震は海溝型です。

 地震が起こる確率は今後30年間で、首都直下型地震が70%、東海地震が87%、宮城県沖地震が99%です。

 他と比べてみると、自分の家に火災が起こる確立が0.2%、交通事故で死亡する確率が0.3%です。

 交通事故で怪我する確率は20%です。交通事故は保険をかけています。多くの人が任意保険にも入っています。轢かれた人、轢いた人も生活が壊れないようにするためです。

 ところが、地震災害はこれだけあるにも関わらず、ずっと確率が高いにもかかわらず、地震保険に入っている人は1/3しかいません。

 首都直下型地震は規則的に起きています。江戸幕府はペリー来航ではなくて、実は安政の江戸地震がおおきなきっかけで倒れたのではないでしょうか。江戸から明治時代、M7クラスの地震が幾つか起きています。最近の大きな地震は、1923年の関東大震災です。それから80年くらい大きな地震は起こっていません。それと同じような地震が起きると横須賀も震度7相当が出ると思います。

■地震で倒れないための耐震補強の必要性

 地震になると家具が倒れてきます。宮城の地震では震度6強の揺れでした。この部屋の窓枠のサッシがありますが、そのサッシと窓が15cm開いてしまい、その直後にガラスが外へ吹き飛ぶ強さの揺れでした。

 大きな地震は、大きなエネルギーが生じ家が倒れるといいますが、どういうことか今日の参加者の2人に協力してもらってご覧頂きましょう。

〜2人の参加者が前に出て行きます〜

 (1人の参加者を横に揺すりながら)屋根が重いと大きく揺れます。背が高いと大きく揺れます。大きく揺れますと、そのまま倒れることがあります。中古の家はそのまま倒れますが、(もう1人の参加者を揺すりながら)新築の場合はまた戻ってきます。

 昭和56年に耐震基準が変わりましたが、その前は木造建物の耐震基準はありませんでした。そのため、阪神・淡路大震災で倒れたのは、ほとんどが古く長屋の建物が多かったです。

 そして、地震が起きると必ず火災が出ます。火が出るととても厄介なことになります。自分が地震の対策をしていても、隣から火をもらったら焼かれてしまいます。そして、家が無くなると避難所生活をしなければなりません。その後、仮設住宅に入るなり、自力で家を建てるなりしなければなりません。

 阪神・淡路大震災では亡くなった原因の半数は窒息死で即死でした。家具などに押されて息ができない、あるいは、肺を強く押されて息ができないというのが原因です。

 12%の人は火事で亡くなっています。明らかに生きていたのに、家の下敷きになり、火事から逃げられずに亡くりました。

 阪神淡路大震災により、20代前半の学生が多く亡くなりました。彼らは親に迷惑をかけたくないと古いアパートに住み一生懸命勉強していました。その学生の家が多く潰されてしまいました。

 火災は何故起こるのかというと、建物が壊れたからに他ならなりません。建物の壊れた率と火災の出た確率とは比例しています。

 横須賀市の消防局がいくら優秀でも多くの火災が発生したらどうしようもできない。一番大事なのは住宅の問題です。住宅については耐震性の低いアパートに入らないために、不動産の広告の目のつくところにアパートの耐震性を公表すればいいと思います。タバコには健康を損なうことがあると書いてあります。それと同じように住宅の耐震性も公表できないかと思っています。地震の根っことなる問題は、この耐震性の低い古い賃貸住宅や、貸家がたくさんあることです。

 耐震性の低いアパートであれば、本来耐震補強をすべきですが、お金のかかる問題でもあります。しかし、地震被害は首都直下では120兆円の損害があるといわれています。この損害額のことを考えると、行政等で耐震補強の補助事業をもう少し積極的に行っても良いと思います。

 耐震シェルターというものが25万円で販売されています。シェルターの中で寝れば良いですし、その周りにいれば生存空間もできます。しかし、全く売れていません。渋谷区では行政の補助があったにもかかわらず、ただの一戸も申し込みがありませんでした。

 ちょっと圧迫感があり、もう少し工夫が必要なこともありますが、こういった商品も出てきています。

■耐震補強の前にできること

 耐震補強が難しいのであれば、まずは家具の固定から始めていくことです。家具は震度5弱程度から倒れはじめます。起震車に乗ったことがある人は分かると思いますが、起震車は地面が揺れるだけですが、実際の家では壁もまがります。

 家具が倒れるので倒れる場所には寝ない。すぐできることをまず実践する。寝る場所さえ対策をしておけば人生の1/3は安全なことになります。

 「災害に備えて日傘雨傘」といって啓発しています。トイレのために猫砂や大人用のパンパースが役に立ちます。水道水は殺菌されているのでかなり長期間大丈夫です。お湯があるとすごく便利です。カセットコンロがあれば食事はできます。携帯電話も非常に役に立つので常に充電にしておくことも大切です。それぞれが、必要なものを考え用意することです。

■防災訓練は誰が対象者?

 要援護者の支援は、防災課長のときに取り組みました。

〜車椅子のお年寄りの写真を見ながら〜

 お年寄りで一番問題になるのはトイレの問題です。被災地で活動したボランティアからのメールには「仮設トイレの多くが和式でつかまるところも無くて、汚物まみれになっていた高齢者がいました」という報告がありました。いくら防災訓練をしていても現実には災害が起こると人間の尊厳が守られないような状況がおこってしまいます。

 今までの防災訓練では、一番強い人を対象に訓練していたことです。地震になったら危ないという人を対象に訓練しなければということでした。このことに私自身、気がついたのは福祉事務所に入ってからです。

 今の災害時要援護者の対策は、現状では、自分にやれることは自分でやるしかありません。皆で要援護者を家からおんぶして避難所へ連れて行き、避難所の環境が十分に整っており安心というようにはなりません。

〜参加者の1人が横になってもらってシミュレーション〜

 最初は、普通に寝ている状態から起き上がって避難してもらう。次に、腕を組んで、足を組んで寝たきりの高齢者のつもりで避難を試みてもらう・・・。すると全然動けない。そこで、もう1人呼んで来る。桜井さん登場。桜井さんも阿部さんを起こそうとするがなかなか起こせません。

 おばあさんが、おじいさんを引きずって火事場の力で階段まで行くことがあります。でも、そこで力果てて亡くなった方もいます。1人より2人でやったほうが良く、2人よりも地域ぐるみで取り組んだほうが良いのは災害時要援護者の支援にとっては必要なことです。

 今回の研究会の「災害による横須賀での犠牲者ゼロをめざして」のスローガンはとても良いと思います。

 それには、要援護者その人自身が良いと思う方法を考えることです。行政が勝手にプランを作っていくのではなく、1人1人とよく話をして、支援者と避難方法を決めていく必要があります。要援護者その人1人1人の支援プランを考えていくことになると思います。

 1つ良い方法と思ったのは福岡市の事例です。福岡市では大雨が降ってもお年寄りが逃げなかった。一番多い理由は遠いからです。考えてみれば、雨が降っている中、20分かかる避難所までお年寄りが行けるかといったら行ける訳がありません。

 最寄のスーパーには一晩中誰かがいます。警備員がいるという場所を選んで、3分以内に避難ができる環境を作りました。これで逃げなきゃあなたたちの責任ですよと言うように・・。

 善意でできる輪をどんどん広げていく。それは、災害時に要援護者を助けるだけではなく、そこに住んでいる要援護者の苦労を一緒に感じて、関係を作っていくことになります。

■個人情報があれば防災力は高まる?

 それには福祉の人と防災の人が連携しなければなりません。それは個人だけではなく、介護福祉の事業者など機関や団体も含みます。

 個人情報の問題があるから要援護者対策が進まないといいますが、私はそうは思いません。無くてもやっているところはたくさんあります。まずは町内会や民生委員さんで知っている人からやっていくこと。一歩ずつ進めていくことが大切です。まずは、知っている人に対して、助ける方法を固めていくことが大事です。

 ただ、一覧を持っていなきゃいけない人はいます。それは行政の障害者対策の課や、防災にかかわる課です。安否確認ができない人は行政がやれば良いのではないでしょうか。

 横須賀市では、10何年前に福祉の情報を消防の人が持てるようにしています。その時の個人情報に対する考え方は現在とは違うと思いますので、実現可能だったと思います。

 こういうことをしているのは日本では横須賀市だけだと思います。

 国のガイドラインは同意方式などいくつかの方式で、名簿をみんなで共有して助け合いましょうと言っていますが、それは地方の話です。都市ではすぐに人が入れ替わるから難しいと思います。

■要援護者の方々も減災の意識啓発が必要!

 災害だけのことを考えるなら、避難よりももっと大事なことがあります。それは減災という考え方です。要援護者は減災対策が出来ていないことが多いです。

 まず、被害を減らし、命は大丈夫、生活も落ちないようにしようという意識や実践を考えておくこと。トイレも3日間くらいは水が流れなくても大丈夫としなければいけないと思います。

 三宅島に行ってきましたがそこのお年寄りの家には、家族や知り合い、警察、病院の電話番号が、全部書いて電話の上に大きくはってありました。これは、ものすごい安心感です。お年寄りの一人暮らしですけれども、誰かに見守られているという感じがします。そういうのが大事です。

 たとえば、安心手帳(SOSカード)があります。

 @1人の参加者が前に出てSOSのカードを持って座ります。参加者にこういう人を見たらどうするかと聞いて回ります。

 A次にSOSカードを持たないで座ります。参加者にこういう人を見たらどうするかと聞いて回ります。

 BSOSカードを持っていると、声をかけようかなと思いますが、SOSカードを持っていなければ声をかけないかもしれないということが意見として出ました。

 あんしん箱というのもあります。お年寄りが避難する際に持っていくものを1つの箱に入れておくものです。これに水や携帯トイレがあれば、避難時にも使えます。

■福祉避難所の必要性

 阪神・淡路大震災では、要援護者も同じ体育館を避難所としました。それが原因で、肺炎になって多くの方が亡くなりました。

 要援護者には、少なくとも温度管理ができている環境や、横になるのもマットレスなどの配慮が必要です。私は現在、こういった環境を整えた福祉避難所を作りましょうと言っています。

 福祉施設の1つである特別養護老人ホームでは、被災後、重度の人が入所してしまうため、軽い人が使っていたショートが利用できなくなります。デイケアも利用できなくなります。すべてを福祉施設では対応できないため、福祉避難所として要援護者用の部屋をどこかに作れる必要があります。

 ある村では、ビニールハウスを避難所にしました。ビニールハウスは、余震でも怖くありません。その地域ごとで必要なものを作っていくべきです。今の環境の中でできることを探して行くことが大事です。

■災害時に一番初めに行うことは「安否確認」

 災害時に一番初めにやってもらいたいことは安否確認。救助・家の片付け・炊き出しまでしなければならないと思うから大変であり、まずは声をかけるだけで十分です。一生懸命連絡すること。誰からも安否確認がこないということはとても寂しいです。

 北海道での事例です。数日間閉じ込められた生活になりました。その間「誰からも連絡が無かったということが一番辛かった。もう社会から見放されてしまったんじゃないかと思った」と話されている高齢者の方がいました。

 急に安否確認はできない。「知り合いだから、やらなきゃ」と思うからできるのです。「知り合いだから」の関係をつくっていくことで日常の活動も活発になってきます。

■心の支援を大切に・・

 人間、困りごとがない人はいません。しかし、知り合いではない人に、なかなか困りごとは言えません。そういう話ができるのは友人関係にある人です。

 困りごとを解決しなくても良いと思います。聞くだけで大きな支援になります。それを私は心の支援と呼んでいます。心配しお互いに気遣う。物をあげる、お手伝いをするということもありますが、最終的には心を伝えることと思います。災害・防災だから炊き出しなどの形にとらわれてはいけないと思います。一緒にやっていきましょうという気持ちを伝えることが大事です。

 それは誰でもできます。災害時要援護者はお見舞いを受けとるだけではない。役に立たない人はいません。阪神・淡路大震災でも、障害者を助けたのは全国の障害者の仲間でした。困っていることを聞き取っていきました。要援護者こそ要援護者のことがよく分かります。

■災害をきっかけとして日常のコミュニティへ

 25歳で発病した35歳の難病の方の事例です。地域の方々は用事がないのに家によることもないということで交流がなくなってしまいました。母親のほうも、来てもらっても・・・という遠慮がありました。

 ところが、防災訓練をやるということで、モデルとして出てくれないかとその家に声がかかりました。訓練に難病の方が出るということで、地域に声をかけたら平日の昼間に50人も集まりました。軽いマットレスのようなものに移して縁側から庭先まで8人がかりで避難しました。なかなか難しいですが、それはやってみないと分かりません。保健師さんが終わりといっても、せっかくきたからといって、何回もやることになりました。

 それがきっかけで、「これからは用事がなくても遊びに来るからね」と地域の方々と難病患者さんの付き合いが復活しました。

 また違う事例です。お店をやっている女性が近所の80歳のおばあちゃんの見守りボランティアをしていました。昼間はお店にいるので支援ができますが、夜はできません。そこで近所の若いサラリーマンの男性に災害時の支援を頼みました。サラリーマンも夜は家に帰るので可能な範囲で協力できるとの話しがありました。

 それが、避難のことだけに留まらず、平時からそのおばあちゃんとの関係が出来てきました。仕事に行く前におばあちゃんに「行ってくるからね」と挨拶をするようになり、近所づきあいもはじまりました。若者も災害という非日常のものを媒介として、日常のコミュニティの活性化に繋がっていきます。

■変化すること≠ェ大切

 自助、共助、公助という言葉があります。自助は自分の弱さを知って動き出す勇気。そして、お節介の気持ちで何かすること。それが共助。そのおせっかいを仕組みにしていくことが公助。

 自助、共助、公助の関係をつくり進めていくことは簡単ではないと思います。先ほど、「支援者が、要援護者1人1人とよく話をして避難方法を決めていく必要があります」といいました。それは、1000人いれば、それを1000回進めていくことです。1回うまくいったから、それで良いというものではないと思います。長い道のりを一歩一歩進むことです。

 私が好きなダーウィンの言葉があります。「強いものや賢いものが生き残るのではない。生き残るのは変化するもの」というのがあります。

 これから安心安全ではなく、不安心な社会になっていくように感じます。それをしょうがない≠竍諦めた≠ニいうのではなく、そういう社会の変化の中で上手に対応していける地域がこれから生き残り、災害があっても乗り越えていける地域になると思います。

 そういう地域で培った人間の絆が大事です。仲間がいて何かあったときに頼める人がいて、そこに豊かさを感じられる、そういう社会を皆さんが作っていってもらえればと思います。

3、意見交換

質問)特にマンションの団地でマンネリにならないような防災訓練はありますか?

回答)ディズニーランドの近くになぎさ防災会≠ニいうのがあります。月に1回何かをしています。とにかく活発です。すぐに何百人って集めてイベントをしています。ポイントは2つあります。
1つは、リーダーの存在です。この団地には3人ほど先頭に立って取り組んでいる人がいます。3人いるといろいろなことができることを感じました。大きな団地ならば、何十人もいると思います。そうしたリーダーを見つけ活動につなげていくことです。
もう1つは、防災会は人が変わらないようにしていること。自治会を卒業すると防災会に入らなければいけないルールになっています。防災会は「硬いところ」というイメージがありますが、この防災会は誰でも歓迎します。活動も一生懸命考えて取り組んで、飽きてきたら次のことに取り組む。大切なのは毎日楽しいって言えるような活動です。

質問)防災活動に興味のない人にリアリティを持たせてアクションに繋げていくにはどうしたらいいのでしょうか?

回答)興味のない人はダメですといってしまうと元も子もありません。皆さん、それぞれ興味を持っているものがあります。防災もその一部として大事だよということを言っていくことです。今興味を持って活動しているものに、災害のことを入れるともっとふくらみが出てくるよねと興味のあるものと防災の内容をリンクさせていくことです。

質問)講演の中にSOSカードと安心箱の事例がありましたが、安心箱の中身について教えてもらえてほしい。

回答)安心箱の中身を簡単に言えば、民宿やキャンプ場などに1泊するときに、何を入れるかということを考えるのが基本となります。水や食べ物、高カロリーなもの、薬などになると思います。後日、事務局へ参考の資料をお送りしたいと思います。
SOSカードは、医療のことが中心になります。保険証や薬、副作用の有無などです。医者に行ったときに書く問診表を一枚持ってきて参考にするのも良いと思います。

4、次回にむけて

 第4回の日程は、別途調整し連絡することで解散した。

(福)横須賀市社会福祉協議会ボランティアセンター(通称:よこすかボランティアセンター)
〒238-0041 横須賀市本町2-1 市立総合福祉会館4F
Tel:046-821-1303 Fax:046-824-8110
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